今の世の中は

危険なことがそこらじゅう・・・

そのせいで、知らない大人が声をかけても知らん顔しなさい!・・・とか

学校から家までの道のりも

買い物も

習い事も

一人で行かせられなくなっています。

住みにくい世の中になっていますね・・・

 

しかし、

これでいいのでしょうか?

自分の知っている人間だけとのコミュニケーション、

友達との関わりだけのコミュニケーション

家族だけのコミュニケーション

相手がいても一緒にバーチャルの中でのコミュニケーション・・・

安全な環境の中だけで暮らしていく世の中。

 

心というソフトは

安全で何も起こらない中では育たないと言われています。

 

心は

母体から誕生した瞬間にはすでに成長していっていると言われており、

誕生した瞬間からは親からの愛情をたくさん浴びて成長し

そこで基本的信頼感を得ることができて、

社会へ飛び出していける心が培うと考えられています。

 

その社会では

今までのように愛情を受けるだけの環境とは違い、

自分に攻撃してくるものもあれば

自分を傷つけることも起これば

自分を否定されることもありますね。

 

それによって

深く傷ついたり、

友達を信じられなくなったり、

生きていることが嫌になることさえ生じる場合がありますね。

なんでこんな目に・・・!

生きている中で、そんな気持ちに陥ったことが一度はあるのではないでしょうか?

 

しかし、

人間は、

たくさんの苦しみ、辛さ、悲しみ、喜び、感動、歓喜を経験するからこそ

人の気持ちを理解することができるようになったり、

こんなことをすると相手は傷つくということを理解したり、

こうしてあげることで人を助けられるということを知ったり、

心の成長はすべてたくさんの経験が根底にあってのことだと思うわけです。

 

なので、

おもいっきりケンカすることも大切ですし、

おもいっきり傷つくことも大切、

苦しむことも大切、

悲しむことも大切、

 

その経験が

周りとの調和を図れる人間になり、

相手の感情を理解できずとも認める力になり、

人の痛みをくみとれる力になるわけです。

 

今日、

小学生のなつやすみcococala寺子屋教室を開いている中で

仲良し男の子同士がケンカになりました。

けっしてどちらも悪いわけではなく、互いの誤解がケンカに発展させました。

そして、

仲良しの友達であるので、

互いが勘違いした相手の行動に、とてつもなくショックを感じたのでしょう。

それぞれが涙をたくさん浮かべました。

 

悪いことしてないと思っているけど、

相手の涙で、相手が傷ついているということを理解した友達は

勇気振り絞って

「ごめん!」

と言いに近寄り、すぐ遠くへ行きました。

 

悪いことしてないのに謝る行為は非常に不本意にもかかわらず、

相手の気持ちを理解するからこそ、

相手が大切な人であるとわかっているからこそ

謝る=歩み寄る勇気ができる人間は

心が成長できている証ではないかと思うわけです。

 

 

大人でも

決して謝ることのできない人は少なくありません。

 

だからこそ、

子どもの時に、

たくさんぶつかって

たくさん経験したいと感じたわけです。

 

幸せになるには、

まずはたくさんの経験をして人生の引き出しを増やしたいですね❤️