1945年8月6日8時15分
広島はたった一つの爆弾で半径4km圏内にいた人たち
約14万人(当時の広島市人口35万人)がその瞬間に命を奪われました
その後も、日ごとに死者は増えていったそうです。
たった一つの爆弾が街を焼け野原に・・・
この平和な日本の今では想像もできない出来事です。
そして、この原爆投下から71年(1945年)。
今日の朝日新聞の天声人語を読んでいるうちに涙が溢れました。
引用したいと思います。
(前略)旧姓広島第二中学校1年生の記録である。
生徒300人余と先生4人が解体された建物のかたづけを始めようとした矢先に、原爆が投下された。数日のうちに全員が亡くなった。
(中略)
熱線と爆風に見舞われ、川へ逃げた生徒たちは手をつないで軍歌「海ゆかば」を歌う。
泳げない子は、「ぼくらは先にゆくよ」と流されていった。・・・朝日俊明くんは大勢の友の死を知り米国を「やっつけてやる」と叫んだ末に息絶えた。松井昇くんは見舞いに来た友達に、「オーイ、あすは水浴びにいこうや」と語りかけた。高田文洋くんは、ようやく会えた母親に「このあいだもらった一学期の成績はよかったでしょう」との言葉を残した。山下明治くんは原爆投下から3日後に亡くなった。「いっしょにいくからね」と思わずいった母親に「あとからでいいよ」と答えた。極限の痛みに絶えながら、子どもたちは最期まで軍歌をうたい、敵国を憎み、親に気遣いをみせた。(後略)
(引用:2016年8月6日朝日新聞天声人語より)
この原子力は1938(昭和13)年ドイツで発見されたエネルギーだったそうです。
それを米国が爆弾として使用することにし、降伏させたかった日本の、まだ空襲で被害を受けていない都市=広島・長崎を選んで投下したそうです。
投下前夜5日の夜、広島には警報が発令していたそうで、
住民たちはおびえて夜を過ごし、朝を迎え安心した矢先の投下・・・・
この広島第二中学校1年生は遠い子は朝5時過ぎに、
近い子は7時頃、解体した建物の片付けを手伝う作業にでての空襲。
一瞬で人の命を奪う原子力。
改めて、この原子力のエネルギーの破壊力を知らしめられます。
そのエネルギーは今や日本の発電に使用されているわけです。
こんな出来事があった日本なのに・・・
人間の開発する力、進化させる力は無限大ですね・・・
それが正しく、人のため地球のため、ひいては生き物すべてのために
使われているのであれば、それは地球を救う力になるのではと思います。
がしかし・・・
この多くは、一部の利益のため、
限られた所に与えられる恩恵のため、
地球に存在する約200国(特に先進国20数国)が
互いに優勢になりたいがためのもの・・・
どの枠の中においても、権力争いのために使われているように感じます。
分別のあるいい大人が
そんな綺麗事を言っても、単なるカマトト・・・
そう考える大人が大半なこの世の中、
私はその大人こそ変わらねば、何もこの先の地球は変わらないと考えるわけです。
むしろ
純粋性を持った子どもたちの多くの夢を壊す大人の心を廃絶し、
夢を持ち続けられる世の中にしていかねばならないのでは、と
この広島原爆投下のあった8月6日に改めて考えるわけです。
一つ一つ起こった出来事はすべて過去
しかし
起こった出来事はすべて必然
ならば
起こった必然の出来事の意味を今一度考え、前を歩いていきたいですね。