争いを起こすのは、人間だけではありません。
この世に存在する生き物全てが、争いながら生きています。
その争いがなくなれば、どんなに幸せだろう・・・
・・・そう思ったことはありませんか???
2015年1月30日、
まだ記憶に新しいジャーナリスト後藤健二氏がISに殺害されました。
このIS(Islamic State in Iraq and the Levant)も
弱まるどころか、
日々の新聞の記事では、悲しいほどにたくさんの命を奪っていってることを綴っています。
その記事を目にして、
「どうして????」
『どうして????」
そう思いませんか?
ただただ理由ではなく、悲しみを覚えます。
どうして
人の命を奪う権利が人にあるのでしょうか?
しかし私含めて、その背景を考えたことはあるでしょうか?
争いの背景・・・・
争いが起こるのは
必ず背景があると考えます。
例えば、
思春期まっさかりの我が娘と母親の争いは
どちらが勝つか負けるか・・・。
それだけの争いなんですね・・・
情けない争いですよね・・・^^;;;
争いは
根底に自分が正しいという感情が違いにあることから生まれるとおもいます。
それを間違っている!
私が正しい!!!と思うから
そこでどちらが正しいかを争っていくわけですね・・・^^;;;
ではどちらが正しいか・・・
結局のところ、どちらも正しいし、どちらも間違っているんですね・・・^^;;;
ではどうすれば争いは起こらない???
正しいとか、間違ってるを捨てることですね。
裕福だから、貧乏だからを捨てることですね。
平等・不平等を捨てることですね。
好き・嫌いという感情を捨てることですね。
おかしい・まともと思わないことですね。
良い・悪いではないと知ることですね。
やった・やってないと追及しないことですね。
信仰している宗教が一番・そうでない宗教は間違いと思わないことですね。
政治の何が正しい・間違いと決め付けないことですね。
変な人・まともな人と自分の物差しで決めないことですね。
一般的・例外的と決めないことですね。
ひどいことをした人を行為だけで判断しないことですね。
否定ばかりしないで、良いところを見つけてあげることですね。
人間は自分自身に癖があります。(kaoring-3も癖だらけです><;;;;)
その癖を知って、自分がどんな色眼鏡で外を見ていて判断しているかを知り、
周りの人たちからそれを気づかせてもらい、
癖を修正して
心を変容して
全ての争いが消えていく世界にしていかないと人類は滅びてしまいます・・・
いつまでも自分の固定概念に縛られるのではなく、
常に新旧を知り、
古きも温め、
一つの答えを求めず、他者の声に耳を傾けていく人間が増えていけば、
きっと、
世界中の争いは無くなるのではないでしょうか・・・
まずは、
自分の周りにいる家族や友達、取りかこむ人たちの中で
「自分自身を知る」ところから始めていきたいですね。