子どもは体全部を動かし、音や声を出しますね^^

 

自分が楽器を弾いたりする人でも、ジャンルの違う楽器の音や、演奏のジャンルによっては、受け入れられない音になりがちですよね・・・

 

kaoring-3は、以前アラーム音を鳴らしっぱなしでお隣の方に壁をドンドンされて、苦情を訴えられたことがあります^^;;;;;;;;;;;;;;;;;

 

音を出している本人にとっては、大したことでなくても

相手の方々にとっては、一度気になってしまうと、どうしても耐え難い音になるようですね・・・

騒音問題は、高度成長時代が始まり、集合住宅(マンション)の増加と共に深刻な問題として今もなお解決はしない問題の一つではないでしょうか・・・

 

特に改善することが難しい音は「子ども」が発する音ではないでしょうか?

ピアノの音は、ピアノの防音装置などで対処できますが、子どもの生活音(声・足音・遊び)は

制約すること自体がかわいそうに思います。

これが子どもなのですから!!!

 

しかし、今や保育所を作ることも、近隣住民が強く反対する時代です。

子どもの声(騒音)が耐えられない・・・とか

子どもはうるさい・・・とか

子どもはマナーが悪い・・・とか

今の子どものしつけはなってない・・・とか

 

悲しい世の中ですね・・・

 

子どもと大人が共存できない時代になっているように感じるわけです。

子どもは子どもで、親から

「知らない大人に声掛けられても、知らん顔しなさい!」

・・・そんな時代です。

 

そうすると、大人も合わせ鏡で、しかとするようになります。

負の連鎖ですね。。。。(泣)

 

 

不思議なもので、

「音」というのは、自分の生活のなかで起こる音に関しては、空気になっているので、全く気になりませんよね。

でも、他人が同じ音を発していると、同じ音なのに気になったりします。

そして、一度気にしてしまうと、もうその音が気になって気になって・・・嫌になってくるんですね・・・

みなさまはこんな状況に陥ったことはありますか???

 

kaoring-3、ありますねーーーその昔は^^;;;

今は、そうですね、なんでしょうか・・・確かに耳につく音は日々たくさんありますが、

気にならなくなってきています(単なる加齢かもしれませんが・・・苦笑)。

 

 

どんな音も、自分が発していなくても、一体に感じれるようになってきました。

人が発しても、動物が発していても、工事現場が発していても

この世の中の全ては一つだと考えてみると良いかなと思うわけです。

 

 

人が生きて音が出せることを、感謝。

動物が生きて鳴いていることを、感謝

工事している人たちが、精一杯仕事を全うしていることを、感謝

ピアノを弾いいている人が一生懸命集中していることを、感謝

子どもが一生懸命遊んだり、泣いて訴えていること(生きようとしていること)を、感謝

 

 

そんな風に生きていけると良いと思いませんか???

この世に生きている全てが家族❤️

 

 

騒音ではなく、生きている証の音。。。