まるで空気と花びらと全てが一体になっているかのような
この画像・・・
これを見た瞬間、
みなさまは、どう感じ、何かイメージが湧きましたでしょうか?
kaoring-3は瞑想をすると、
最終的にはこの画像のような
全てが一体になったような感覚に陥ります。
こんな感覚を毎日イメージして
感じて生きていくと
強い非難・中傷・叱咤を浴びても
純粋に受け入れる心が存在するわけです。
受け入れる心があれば
どんな誹謗中傷を受けても
いじめを受けても
先生の攻撃を受けても(理不尽な)
勉強がわからなくなっても
学校そのものが自分と合わなくても
家庭環境が劣悪になっても
変わらず学校へ行く力はあるのではと思っています。
ではどうして
それができなくて、不登校や引きこもりを選び過ごすのでしょうか?
不登校数は、現在は少し横ばい状態ではあるものの、
12万を超えた子どもた学校へいけなくなっています。
原因は、
いじめ、先生との相性、無気力、成績不振(勉強がわからなくなる)、甘え、家庭環境の悪化、発達障害、心身症などを挙げています
これは今に始まった原因でしょうか?
昭和だから
平成だから
時代が変わったから
家族構成が変わったから
時代の移り変わりとともに、子どもの適応能力が変化したから
今増えているのでしょうか?
いえ・・・
そうではないと感じます。
また、その対処法として
世間や行政、メディアでは
「それを受け入れてあげましょう」
「プレッシャーをむやみやたら与えるのではなく、できるところから働きかけましょう(たとえば、保健室登校等)」
「あるがままの子どもを大人が認めてあげましょう」
決して間違ってはいませんが、
思うのです・・・
これって、病気で病院へ行った時の対処法と同じ。(対処療法:患者が訴えることに答える対応)
「頭が痛いんです。昨日から熱がでています。悪寒がしています」
「風邪ですね。熱冷ましと抗生剤だしましょう」
その時に訴えていることには対応しています!
でも
その根本やその背景、心の中にある原因を取り除くことをしているでしょうか?
根本を取り除いてあげない限り、人は繰り返します。
その時、登校してくれても、
社会に出て、別の形で現れるでしょう・・・
どんなことでも
大切なことは
根本の原因を取り去ってあげることだと思うわけです。
ぎっくり腰の人が病院へ行って絶対安静と言われ
湿布と鎮痛剤もらっても根治はしていないのです。
そのおかしくなった筋肉を修正してあげておかないと
筋肉はその状態を記憶し、繰り返すのです・・・
どんなことが自分に降り掛かろうが
叩かれようが
陥れられようが、
この一本の木のように
周りに仲間が居なくとも
自分のことを信じ、その先に光が注いてくれていることを信じ
成長しつづけられる心がもてること。
それがどんなことが起こっても強く交わす子ことをもてるのです。
不登校担っている子どもや
過去不登校で今はバイト生活(50代男性)の人が
「嫌なことがあっても行ける子もいるのに、どうして自分はいけないのだろう・・・」
と共通の思いを抱いて生きています。
その「どうして・・・」(根本)を改善してあげていないのです・・・
その根本は、「こころ」
その「こころ」を家族や周囲が育ててくれていないのです。
だから本人たちは原因がわからないし、改善できないのです・・・
その「こころ」を
育ててあげさえすれば、
どんな苦境に陥っても
どんなに辛い仕打ちを受けても
どんなに悲しいことが起こっても
自分を信じて、光に向かって生きていける。。。
そう思うのです。
そのためにも
親と子が
もしくは周囲の大人が
互いに信じあえる関係を築いてあげることが大切だと思うわけです。
どんな年になっていても遅くはありません
今日から親子・周囲のみんなで違いの存在を大切であることを、
スキンシップや会話、行動で表現していきたいですね❤️