人生

こんな風に道は一つで、

その先に光が放っていれば

誰もがみな、悩まずただただこの道を純粋に進んでいくでしょうね

そんな人生を歩みたいと誰もが思うのではないでしょうか?

 

人生は

生きている以上、あらゆるシーンで選択を余儀なくされますね。

その選択が正しいか間違っているかは、誰も知る由もありません。

人によって、それがプラスになる時もあればマイナスになる時もあり・・・。

しかし、多くの人は自分の経験値から判断し

悩んでいる人にアドバイスをしますね。

 

 

こんな迷妄の中で私たちは日々生きていると言われています。

迷妄・・・

マーヤとも言います。

そんな中で日々試されながら、日々何かを選択しながら生きているわけですが、

一つ一つの選択をその「迷妄(外側の意識)」に惑わされるとどうなるでしょうか?

現代のほとんどの人がこの迷妄に惑わされた生き方なのですが、

そのために、真の大切な幸せの方向を見失うわけです。

 

たとえば

一生懸命貯めたお小遣いを、

将来医者になりたいと思い勉強している青年が、

友達の誘い(誘惑)に負けて、女の子とグループ旅行しよう!

楽しそう!!!・・・そして、医学書買いたかったのに、旅行に行った。

これが外側に意識がいって、

自分の真の幸せを見失う結果になっているわけです。

 

しかし・・・

kaoring-3含めて、大半の人間はこのように

身近な誘惑(迷妄)に負けながら、日々をすごしているのではないでしょうか?

そして、それをやってしまった後、

「あぁ・・・なぜこれにお金を使ってしまったんだろう・・。

もっと夢に向かうためにお金を貯めていたのに・・・」

そう後悔することも少なくありませんね・・・

 

それを繰り返しながら、

人間は少しずつ成長していっているのかもしれませんね・・・

 

そんな日々の人生の中で

選択を強いらされた時、皆様はどんな風に選択しますか?

決断する基準はなんですか?

 

道がいくつか分かれていて

どれを選んだら良いのかわからなくなった時・・・

どうやって決めるか・・・・

 

kaoring-3も今、実はこんな分かれ道の手前にいます。

一生懸命学んだものを形として残すか捨てるか・・・

でも、形はなくなっても自分の体や心には刻まれているわけです。

 

自分が今大切にしているプライオリティは

そこでないとわかっている時、

心から悩むわけです。

なぜならば、その学びがあったから今の自分がいるのも事実なのですから。

 

そこで

kaoring-3は冷静に自分のとった行動を観察してみました。

その学びを得た複数人の仲間に連絡しました。

そして、捨てようと思うことを連絡したのです。

その目的は、おそらく相手の返事をきっと判断基準にしようとしていたのでしょう。

 

しかし、

自分の思った回答は誰一人からも返ってきませんでした!

 

なぜでしょう?

その理由は簡単です。

kaoring-3の人生を仲間は決められないからです。

それをわかっている仲間だからこそ、その回答はないのです。

やはり、この学びを共にした仲間は素敵だと感じました。

 

みなさま・・・

この時点で結果はみえましたよね?

 

そうなんです。

結局kaoring-3は、自分の揺らいでいる感情を後押ししてくれる人が欲しかったのです。

しかしそれを得ることはできなかった。

それを得ることはできなかったけど、

そのことによって自分がどうしたいか、

すでに心では決めているということがわかりました。

 

そう・・・

まだ捨てる時ではないとわかっているのです。

だからこそ、

人に意見を求めるわけです。

自分の心を試すために・・・

 

だから

今はまだ捨てる時ではないということなんですね。

 

皆様も

もしも決断に悩む時があったら

まずは、自分がその時にどんな行動にでるか

客観的に見てみてください。

そして、誰かに相談するということは

そう・・・

選んで進みたいと思っているのではと感じます。

 

どんな時も

悩んだり

苦しんだり

困ったり

わからなくなったりした時・・・

自分がどんな行動をとっているかを、

もう一人の自分で観察してみてはいかがでしょうか?

 

すると

自分が見えてくると思うわけです*^^*