生きている毎日の中で

「あぁ・・・言われたことやっておけばよかった」

「あぁ・・・どうしてあのとき、もっと気をつけなかったんだろう」

「あぁ・・・検査でひっかかったときに、医者に言われた通りにすればよかった」

「あぁ・・・アドバイスくれていたのを無視しなければよかった」

etc………………………

あのときこうすれば、「今」が変わっていたかも・・・?!

と思うこと、

一度は経験していることではないでしょうか?

 

 

どんなときも過去、自分がとった行動や言動・・・

一縷(いちる)の誤りもなかったし、

それで結果が思い通りでなくとも

自分がそのときに判断したから後悔したことはない!

という人も、少なくないかもしれません。

が・・・・

多くの人は、

やったこと

言ったこと

自分の行為に後悔したことが一度はあるのではないでしょうか?

 

 

 

今日は、

その一縷のブレもない人ではなく、

一縷のブレが生じて、

人生の自分が感じる汚点(後悔)を感じたことのある人へ

お伝えしたいと思って書いています。

 

 

先週、

kaoring-3は、ずっと陰ながら応援していました小林麻央さんが

ガンの闘病生活にピリオドを打たれました。

天に召される直前まで

多くの人たちに、

同じ苦しみを持っている人たちに、

苦しみに負けないで笑顔を!

と訴えてブログを発信されていました。

 

 

簡単な行為ではないと感じます。

ココロから尊び、ココロから畏敬の念が生じます。

ゆっくり休んでほしいとココロから祈っております。

 

 

彼女の生き方で

どうしてkaoring-3が心打たれたか・・・

それは

日本人の誰もが

自分の弱い部分を隠していくことが常だからです。

弱点を人に見せたくない人種なんですね・・・

 

 

そんな中で、

小林麻央さんもブログで最初に

あのとき、別の病院(セカンドオピニオン)をつければ・・・

とか、

もっとこうすればよかったのでは・・・

とか、

今更ながらの記事を目にします。

 

 

このことは

病の件に限らず、

誰もが

「あのとき、こうしておけば・・・・」

と思ったこと、後悔したこと

きっと

誰もがあるのではないでしょうか???

 

 

kaoring-3も

生きてきた中で

それはそれは

たくさん、

たくさん、

たくさん・・・・山ほどあります。

 

 

しかし、

やっとその意味もやっとやっとわかる歳になってきました^^;;;

kaoring-3の場合は

年齢を経て、

学びを経て

やっとここにいきついたわけですが(遅い気づき)・・・

気づきは年齢ではありません^o^;;

(kaoring-3の場合は、たくさんの失敗を重ね、やっとです・・)

 

 

過去は

もう・・・・

誰がどう頑張っても過去なんですね。

 

 

過ぎたことへココロを置くことは

「今」を

無視しているわけです。

 

 

小林麻央さんのブログは

ほとんど拝見しておりませんが、

最初は後悔の念も表されていたようですね。

しかし・・・

彼女は

その「後悔」にココロを奪われず、

最終的には

「今」どうすべきか、

「今」何をすることが大切か。

「与えられている今」はどんな意味があるのかを

しっかりと意識されて、

「今」を大切に生きて最期を迎えられたように感じます。

 

 

「後悔」という言葉は

kaoring-3はこの世から消した方がいいのかな・・・と思うわけです。

なぜならば

後悔からは何も生まれないからです。

過ぎたことを塗り替えることはできないからです。

それよりも、

その後悔する事象に対して、

「どうしてその出来事が自分に降りかかったのか?」

「なにを自分に悟れという意味だったのか?」

「この辛い出来事を乗り越える意味はどこにあるのか?」

を悟るために振りかざされている出来事だということだと思うわけです。

 

 

私たちは

過去も

未来も

生きていません。

 

生きているのは

「今

 

もっと

今を生きていきたいですね💗