生きている中で

なぁんにも苦しみはないわ!!!

・・・・

なんて言ってみたいですね^o^

 

 

いえ・・・

苦しみがあっても

そんな感情になることはないわ!!!

という人もいるのかもしれません^^;;;

 

 

いずれにせよ、

苦しみという感情は

生きる中では

避けたい感情の一つかなと思うわけです。

 

 

しかし、

仏教も

キリスト教も

ヨガも

「生きることはすべて苦行(苦しみ)」

教えに書かれています。

 

生きることだけでも苦しみと言われているのに、

その苦しみの中に

さらなる苦しみを経験することは、

それはそれは相当な苦しみを与えられて、

過酷にも辛いわけですね。

 

その苦行の中で

さらなる苦しい感情を与えられる意味って

一体何なのでしょうか?

 

 

kaoring-3は思うわけです。

苦しみは

苦しみの意味を知り(=生きる意味を知る)

苦しんでいるすべての生きるものの意味を知り(=生きている全ての人のことを知る)

苦しみを受けることは罰ではないと知り(=苦しみは割ることではないということを知る)

苦しいことを悟り(=苦しいからこそ真の幸せを知ることができると知る)

苦しいことを乗り越えることができ

(=苦しみは乗り越えるものではなくみんなと幸せになるためのエッセンスを知る)

 

真の幸せに到達するのかなと考えるわけです。

 

 

そうはいっても

苦しみという感情は、生きる中で辛いですね!

なるべく苦しみを避けて、

楽な人生をえることに力を注ぐこともいいのかもしれません^^

それはその人が選んで生きるので、

それも大いにありきなのですね^^

 

 

その生き方がいいと思ったのなら

それでもいいのです。

苦しみを経験せずに生きる人にとっては

それでいいと思うわけです。

 

 

 

 

 

kaoring-3は

若い頃、楽ばかりを考える人生でした。

だから、

そこに苦しみが出ると

悲劇のヒロインのごとく

「どうして私にばかりこんな苦しみを神様は与えるの?」

なんて考える女性でした。

 

 

とんでもない!!!!

その苦しみを乗り越えようともせず、

苦しみに対して周囲や家族や神様のせいにして

自分を省みないなんて。。。。

 

 

今だからこそ、

その当時を振り返り

その過去があっての今だということを

理解し、受け止め、受け入れ、

やっと

やっと

それを今咀嚼していき、

飲み込めるだけの人間へと

なっているのかなと感じます^^;;;

 

 

今もなお

いろんな苦しみを与えられています。

 

しかし、

その苦しみの裏にある意味を

真摯に受け入れ、

考え、

悟りを開き、

今をどうすべきかの応えを見出し、

苦しみをどう解決するかが

生きるということなんだとかみしめながら、

ひとつひとつのことに、

また・・・

ひとりひとりの出会いに、

 

感謝し、

生かされている時間を

大切にしたいと思うわけです💗^^💗