kaoring-3は

大学2年生の時、

生まれて初めて

北海道へ行きました。

 

どんな名所や

綺麗な湖や

荘厳な景観よりも

 

kaoring-3が

一番感動したのは、

この

果てしなく続くまっすぐな道でした。

 

 

これを見た瞬間に

ここは日本???

と初めて

自分の生きている母国の

国土の狭さを認識したのです。

 

日本にも

果てしなく続く道があるんだ・・・と。

 

 

ずっと

ずっと

続く

まっすぐな道。

 

 

心から感動しました。

 

 

それを見た瞬間の感動は

今でも忘れられません。

 

 

 

イコール

生きることは

こういうことだと

始めた思った瞬間でもありました。

 

 

 

「生きる」

意味を考え始めたのは思春期でしたでしょうか。。。

 

学校の先生、

目の前で育ててくれている親、

国や政治・・・・・・・

大人たちの裏側にある

矛盾だらけの社会に失望し、

生きる先の希望を見失うことになりうる思春期。

 

 

それを

実感した一人です。

なんのために生きているの?

どうして生きているの?

どうして私を産んだの?

どうして今私はここにいるの?

生きる意味はどこにあるの?

私が生きてなんの価値があるの?

私が生きていることは誰のためになるの?

・・・・・・・・・・・・・・・・

etc……

 

 

そんな風に考えたこともありました。

 

 

そんな中で生きながら

流れにのまれながら生きて、

結婚し、

子どもを出産し・・。

しかしそれが破綻し、

その夫の心が崩壊し、

また、ここでも人生の意味を失い出したとき、

kaoring-3は、

ここで初めて「生きている」ではなく「生かされている」ということを

知ったのです。

 

 

人は誰もが

自分の人生を幸せに生きたいと願って生きています。

当たり前。。。

しかし、

実はこの世に誕生し生きているものすべては、

実は

生かされているのですね。

 

そう・・・・

自分が望んでこの世に誕生したわけでばなく、

生きないといけない理由があって生かされているのです。

 

なぜ????

 

 

生きる意味をわからないといけないからこそ、

生かされ、

意味を知り、

それを理解し、

実行するために生かされているわけですね。

 

さてはて・・・

そう思って

そう感じて

そう考えて

生きている人はいるでしょうか?

 

残念ながら

ほとんどの人が

そんなことを考えずに

生きていますね。

 

 

だから・・・

多くの人は

生きる意味がわからなくなるのかなと思うわけです。

 

本来

この世に生きていることはすべて苦行。

 

それをこなすために生かされているわけですね。

 

なのに、

多くの人は

それをこなすことに従事するのではなく、

いかに

それを逃れながら生きていくことを選択しようとしているか・・・。

 

 

この世に生まれて

今生きているkaoring-3含めあなたは、

十分幸せを得ています。

だから

その得た幸せを、満たされていない人たちに

与えていくこと。

それが

生きる意味かと思うわけです。

 

 

人が

この世に生きてる意味は、

この命で、

この世の中の

苦しんでいる人たちを

どう

助けられるか・・・

それは

イコール

生きているものすべてが

平等である社会を目指すわけですね💗

 

なぜならば、

人類、この世の中のすべては仲間だからです。

自分の生きている一部だからです。

 

 

自分が一番で生きている人は、

自分に何も残らない人生になるのかなと思うわけです。