あなたは、

自分が思い描いている願いがありますか?

 

それは

どんな

願いですか?

 

人は、

無意識の中で

他の人や、

他の環境や、

他の状況を、

常にみながら

自分をジャッジする傾向がありますね。

 

自分はしていない!

と思っている人も、その多くは

無意識の中で常にやっているのです。

 

 

なぜだと思いますか?

 

それは・・・・

常に、

人よりも

幸せでいたいからなのです。

 

 

常に、

人よりも

優勢に生きていきたいからなのですね。

 

なぜならば、

人よりも優勢であることが

「幸せ」と思う概念がどこかにあるからです。

 

 

でも

その「幸せ」という物体は、

どう判断して「幸せ」と位置付けられるのでしょうか?

 

何をもって

「幸せ」なのでしょうか?

 

多くの人は、

例えば

「幸せな結婚、幸せな家庭」

とか

「裕福な家庭、裕福な人生」

とか

「優秀な子ども、優秀な夫」

とか

「優しい夫、優しい妻、優しい子ども」

とか

 

「幸せ」の尺度はたくさんありますね。

 

この尺度って、本当に正しいのでしょうか?

 

本来

自分の真の幸せは内側(心)にあると言われています。

要するに、

「幸せ」は、自分が決めるのですね。

自分の心が幸せを決めるのですね。

決して、外側への意識の中での幸せは

迷妄(=現実の事実とは違うところで勝手に作り出している)ものなのですね。

 

さて、

ながーーい前置きを経て、

自分の思う願いを叶えられている人と、

叶えられない人との違いは

何でしょうか????

 

叶えている人の多くは、

まず

冒頭でお話ししていますが

他の人や物、環境と自分をジャッジしていない人かなと思います。

そして、

自分の願うことが、

その比較やジャッジなくして

内側の心に則っているかどうかということ。

 

そして、

大切なことですが、

自分を客観視(冷静に自分の思い・考え・行動・言動)を

見ることができているかどうかということ。

 

 

静観。

 

自分を静観できているでしょうか?

 

静かに

静かに

自分がどんな人間で、

どんな風に人と接していて、

どんな人生を良い悪いと思っているか・・・

を観てみませんか?

 

 

そうすると、

なるほど・・・

だから自分の思う願いが叶わないんだ・・・

なるほど・・・

自分という人間はそういう人間だったんだ・・・

なるほど・・・

常に比較しながら生きている自分がいたんだ・・・

なるほど・・・

常にプライドを払拭させることができなかったんだ・・・

なるほど・・・

常に人に自分を見せることができなかったんだ・・・

etc……………

 

 

ピュア(純粋)な願いでは

なかったから

叶えなかったのかもしれません。

 

 

ピュアじゃない願いとは、

自分にとっての損得勘定が入っているということです。

 

 

人間は

自分にとって

不利益なことがおきることを避けたいと思っています。

当たり前ですよね^^;;;

しかし・・・・

本当にそうでしょうか?

そもそも不利益って、自分にとってどうして不利益???

それは

自分の内側(心)次第なのですね。

 

また、

「欲」は

人間(俗人)の万物なのですね。

そこからの脱却が

自分の心(魂)を高めることができると言われています。

 

食欲

睡眠欲

性欲

etc.・・・・

 

欲を捨てる必要はないかと思います。

が・・・

その欲への執着

人の心を大きく狂わせますね。

 

 

ということは、

「自分の思う願い」は

執着が強く働いているので、

まずは

そこから脱却する必要があると思うわけです。

 

願いが

強くなればなるほど、

執着が強く働いているのですね。

 

執着は

生きる中でストレスを生みます。

 

 

まずは、

自分の心の中にある執着を捨て、

シンプルに

今目の前に起こることをこなす人間になっていきたいですね💗

 

 

それが

真の願いを叶えていく術になっていくと

思うわけです^o^