「虐待」
この言葉はなんて嫌な響きなのでしょうか・・・
いつぞやか、この嫌な言葉は、新聞を頻繁に飾るようになりました。
虐待はいつの頃から、社会で取り上げられるようになったのでしょうか?
調べていたら、平成13年に当時の愛知県立大学の助教授だった長谷川眞人氏が
大学公開講座で「児童虐待と子どもの権利擁護」公開講座で歴史について
お話しをされている要約を拝見しました。
(出典:https://www.manabi.pref.aichi.jp/contents/01120357/0/index.html)
そこには、
「児童虐待防止の先進国といわれている国の一つであるアメリカの児童虐待の取り組みを見てみると、1874年に継母によって虐待死さらせられたメリー・エレン事件が契機となり、1875年に先がけて「児童虐待防止協会」が設立された。当時は虐待の実態についての把握が不十分で法制化までには至ってなかった。その後、アメリカにおける児童虐待について法制化されたのは、1963年のカリフォルニア事件が最初である。そして、1974年に連邦レベルで「児童虐待予防・処置法」が制定されている。この法律は全国児童虐待・放任問題センターを設置し、住民の誰でも児童の虐待・放任を発見した者は、地域の児童福祉機関なりセンターに通報することを要請している。
一方、イギリスにおける「児童虐待防止協会」が設立されたのは、1884年でその活動は今日まで続いている。1945年に里親委託された児童が里親によって虐待死させられたデニス・オニール事件が景気となり、児童法が成立している。その後、1973年に母親の再婚相手(継父)によって殺されたマリア・コウェル事件が引きがねとなり、エリア・リヴュー委員会(政策決定とその実施状況を監視する)と事例会議(個別ケースについての査定と意思決定を行う)と児童虐待登録制度(虐待の危険のある児童の名前を登録して予防を図る)などの法制度が整備される。そして、1989年に新しい児童法が成立され、児童の養育に関して第一次的責任を負う家庭と、これを支援する国および地方自治体の責任との調整が図られている。〜以下(略)」
と記されています。
虐待の歴史はまだ浅いことがわかります。
また、「どこからが虐待???」
この質問は、本当によく耳にします。
ママたちが、
「先生!新聞でみる虐待事件。私、すごく(母親の)気持ちがわかるの・・・。」
この言葉もよく聞きます。
私もその一人です。
新聞を飾る虐待事件は、
「気持ちがわかる」事件と
「信じられない」事件のどちらかです。
前者の事件で、いつも思うことがあります。
虐待をした親が本当に追い詰められているということがわかる事件です。
後者の事件は、同情や理解する余地のない
自分勝手だけの、親としての自覚が備わっていない事件です。
今回は、気持ちのわかるという前者の事件について語りたいと思います。
私の娘が小学校4年生の頃、ご近所で仲良くしていた自閉症の男の子と
娘は一緒に仲良く帰宅してきました。
私の仕事場前で、その自閉症の男の子とママ、私と娘はいました。
娘は、自閉症の男の子が奇声を発しながらも、一緒に遊んでいました。
私とその男のママは、雑談をしていました。
そこへ、通りすがりの60代くらいの男性が
「おまえら!(私と男の子のママ)子ども虐待すんな!!!!」
と、いきなり怒鳴られました。
驚きました。
なぜ、その男性が言ったかというと、自閉症の男の子は半端ない奇声を発するのです。
が、それは放置されているからとかではなく、楽しい時にも発するのです。
もちろん、私の娘と遊んでいましたから・・・。
こんなこともあります。
以前住んでいた集合住宅に、パパ・ママ・娘(幼稚園)の3人家族のお母様が
「もうねー、叱るとご近所から虐待って思われるのが嫌だから叱らないの。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それって・・・どうなんでしょう・・・
虐待事件がニュースに出る様になってから
学校からも「虐待と思ったら通報を!」「お母さん、お父さんから暴力うけたらすぐ連絡を!」
間違ってはいません。
早期発見で、虐待児を救うことができるのですから・・・。
が・・・・
そんな社会が、一生懸命頑張って子育てしようとして苦しんでいるママを
孤独に追いやり、苦しめていることをどうしてわからないのでしょうか?
いつも悲しくなります。
後者の事件の場合は、死刑にしてもいいと思うくらい、辛い事件が多いです。
でも前者の事件の場合は、お母さんを追い詰めるような記事しか見たことがありません。
世間は簡単に「虐待」という言葉で終わらせ、虐待をした親を非難し追い詰めます。
私はそこを社会が正さない限り、負の連鎖は切れないと感じます。
なぜならば、世間や社会やメディアは結果の報道ばかりで、
なぜそのような事件になってしまったかの背景を全く取り上げないのです。
そこまで追い詰められた親の気持ちは、その親でないと理解できません。
どうか
虐待という言葉で、全てを終わらせるのではなく、
虐待をしてしまっている背景をしっかりと受け入れ、受け止めてあげて
それが繰り返されない社会にしていきたいと心から思うのです。
7年前に、私のところへベビーマッサージを受けに来ていたママが
子どもが2歳になった頃、
「先生・・・、ママのかけこみ寺を作ってよ!」
そう言われたのを今でも覚えています。
だから、いつかは作ろうと思い続けてきました。
ブログという形ではあるけれど
一生懸命頑張って子育てや仕事、生きることをしているからこそ、
追い詰められる人間の心理を理解する空間を作ってあげたい・・・
かくゆう私もその一人ですので・・・
前者の虐待事件は社会が加害者。。。。
私はそう思います。
辛いとき、
苦しい時、
一人で抱え込まず、迷わず助けを求めに来て欲しいです。
みんなで子育てできる社会にしないと・・・。
大丈夫!
一生懸命向き合っている子育てに間違いはないから・・・。