あなたの幼少期は

こんな姿になることはありませんでしたか?

例えば、

父親や

母親に

自分の何かを否定された時、

こんな気持ちになりませんでしたか?

 

 

kaoring-3の両親は

いずれも厳しい人だったので、

常に行動を評価されました。

それは、

言い換えると

「かおりは、どうせ無理!」

とか

「おまえになにができる?」

常に卑下されて育ちましたので、

自分に自信が持てませんでした。

 

 

しかし、

kaoring-3は、

両親のことを恨んではいません。

なぜならば、

両親が私を卑下して育てたから、

私は自信がもてない人間になってしまった!

とは

思っていないからです。

 

いえ・・・

正確に言うと

親の育て方で

自分の今がそうなったと

決めつけることは違うと知ったからです。

 

 

例えば、

「学校に行きたくない」

と子どもが言った時、

親はまずその気持ちを受け入れ、

理由を聞きますね。

すると

「●●ちゃんがいじめるの!」

その流れでいくと

いじめが原因で学校に行きたくないと

子どもは言っていると親は判断します。

 

しかし・・・・

実はそうではないんです。

いじめられているから学校に行きたくないのではなく、

学校に行きたくないから、その原因を作っているわけですね。

 

 

人間は

常に

起こす行動に目的を作るといわれています。

 

 

kaoring-3は

大学卒業後、新卒入社した会社で

いきなり洗礼(女性上司からいじめ)を受けました。

それは

いじめられるのだったらまだしも、

関心をゼロにされる

「無視」

だったのです。

 

人間は

自分の存在を無視されるということは、

生きる意味が見出せなくなりますね。

 

実は、

虐待よりも

虐待なのです。

 

自分の存在に

関心を向けてもらえないのですから・・・。

 

 

しかし・・・

kaoring-3は、その中でも

職場へ毎日向かいました。

精神的には

劣悪になっていっていたので、

歯が痛み出し、

おたふく風邪のように両方の

頰がパンパンに腫れ上がり、

発熱も起こり、

体はもう限界を訴えていました。

 

 

同僚は

陰では支えてくれました。

 

 

しかし、

そのいじめる上司の前では

その上司についていたので、

常に孤独でした。

 

 

帰りの通勤ラッシュの電車で、

人目憚らず

大粒の涙をこぼしながら

帰っていました。

 

 

 

人間は、

自分が

今!ここで!

生きていることを認めてもらいたいのです。

 

 

生きる意味を

見出したいから、

仕事(=社会貢献)するのです。

 

 

こうやって

泣いて過ごしても

負けず立ち向かったから今がありますが、

こんな状況の時は

ほとんどの人は

「なんで????どうして???私はなにも悪いことはしていないのに!!!」

自問自答を繰り返します。

ひいては、

「私が全てわるいんや! わたしがいなければみんな幸せになれるんや!」

とまで思い込むようになります。

 

 

kaoring-3は思うわけです。

 

 

不適切な行動をしたら、

正されるのは、

その人のことを考えてくれているから正そうとします。

無視されたら

それすらもできませんが、

無視されたことに

心を奪われてもなにも生まれません。

 

 

大切なことは、

何かあった時は

まずは

冷静に自分を客観視して自分を見つめ、

そこに正すべきことがあった時は、

真摯に受け入れ、

そこからは、

そんな中で当たり前にやっている行動

(そんな中でも仕事して、挨拶をして、一生懸命務めている行動)

に正の注目をするのです。

 

 

こんな中でも

朝ごはんちゃんと食べてるね!

 

こんな中でも

時間通り仕事へ向かっているね!

 

こんな中でも

前を向いているね!

 

こんな中でも

子どものこと(家族のこと)を心配しているね!

 

etc…………

 

 

なんとなく

日常が苦しくなった時は、

自分の行動や

自分の生き方の中にある

「正の注目」(当たり前にすごしていることに注目する)を

してみませんか💗

 

 

誰もが

この世に誕生している意味は、

誰もが

幸せに生きる権利があるのですね💗

マイナスの感情に浸るのではなく、

プラスの感情に注目できる人間になりたいですね💗