kaoring-3の住んでいる街、

苦楽園。

不思議な名前、苦楽園

「苦」と「楽」の「園」

なんだか、

生きることそのものを表現しているような地名です。

 

 

ここに流れる川、

「夙川(しゅくがわ)」

 

 

この夙川が大好きでたまりません。

桜の名所でもあります。

が・・・

この桜ももう樹齢100年を迎え、

先日kaoring-3は桜に会いに行ってみましたが、

少し疲れているように見えました。

 

 

毎年

桜を見に来る人たちがたくさんいます。

たくさんカメラ片手に

いろいろな桜の顔を撮っています。

この「桜」も

みんなは当たり前のように感じながら

毎年見に訪れていますが、

・・・・それって・・・当たり前・・・・でしょうか?

 

桜にも命はあります。

決して当たり前ではないのです。

 

毎年

桜の顔は変化しています。

人間と同じ、老化です。

 

さて・・

その「当たり前」を

今日は書いてみたいと思います。

 

 

最近

ヨーガのレッスンでも

この「当たり前」は「最高の幸せ」であることを

お伝えしていますが、

そもそも「当たり前」ってなんでしょうか?

 

 

みんなの思う

「当たり前」は

実は微妙に違ったりもします。

 

 

ことばバンクによる

「当たり前」の意味は、

〔「当然」の当て字「当前」を訓読みした語〕

だれが考えてもそうであるべきだと思うこと。当然なこと。また、そのさま。 「困っている人を助けるのは-のこと」
普通と変わっていない・こと(さま)。世間なみ。なみ。 「 -の人間」 「 -にやっていたのでは成功しない」

と明記されていました。
 

 
この意味に則って

みんなが感じている

当たり前の例としては、

息をしていること

朝が訪れ、夜がくること

太陽が昇ること

月が太陽の光で地球を照らしてくれること

カラダがうごくこと

年をとること

生活していること

食べたいものを買うことができること

親がいて、自分がいること

病気になったら病院へいくこと

学校にいけること

家があること

 

 
しかし、

この中の内容において

人によっては、当たり前ではないことが

含まれていることだってあるのです。

 

 
どんなことも

実は

「当たり前」は

「奇跡」の連続なんですね。

 

 
その「当たり前」のすべてに

日々、関心を向けてみたことはあるでしょうか?

朝から晩まで起こる

「当たり前」。

 

 
そして

その「当たり前」を

「あぁ、これも奇跡!あぁ、これもまた奇跡!」

なぁんて思って見てみませんか?
 

 
すると、

すべてが愛おしく感じるようになりますね。

 

 
たとえば、

kaoring-3の娘はなかなか朝起きません。

親としては

自立へと導くために、

起こさないようにしていますが、

それでも内心は

ハラハラ・・・

我が子の問題(課題)なのに、

親がドキドキするわけですね・・・(いい迷惑)

 

 
そんな状況でも、

すやすや寝ることができている我が子の当たり前を

(寝れることができる)

「あぁ、よく眠ることができて本当によかったねぇー」

「あぁ、幸せだねぇ」

「うちがあって寝れるベッドがあるって最高だねー」

 

 
そんな感じに、

すべての起こる当たり前に

関心を向けていくわけです。

 

 
すると、

すべてが幸せの塊(かたまり)に感じることができるのですね。

 

  

 
今日から、

自分のことも

我が子のことも

配偶者のことも

家族のことも

同僚のことも

上司・部下のことも

対人だけでなく、

動物

植物

生物

この世のすべてに

関心を向けながら生きていってみたいですね💗