2016年5月28日7歳の男の子が、「しつけ」と称して父親が置き去りにし、行方不明になったニュースは、誰もが記憶に残るものだったと思います。
まずは、なにはともあれ、小さな命が無事であったことを心から安堵するニュースでしたよね。。。^o^;;
さて・・・
みなさまは、この事件を、どう解釈されていらっしゃるでしょうか?
メディア、教育評論家の尾木ママ、マスコミ、あらゆるシーンで、このニュースではいろんな誹謗中傷や意見が飛び交っていますね・・・
なんとなく考えさせられるニュースだったな・・・と、色んな意味で思いませんでしたでしょうか?
なぜ複雑か・・・・
このニュースではフォーカスすべき部分が複数あったからだと思います。
①父親(親)が7歳児を置き去りにする行為(虐待)
②男の子(7歳児)の問題行動(人や物へ石を投げる。学校でも教師から問題行動を指摘されている)
③親は現場に戻るも、すでに子どもは行方不明
④7歳児が6日間命を水で繋いでいた
どの部分を選択して報道するかで、問題は大きく変わってくるな、と感じました。
ほとんどの人たちは、①だったのではないでしょうか?
私は、②でした。
いつも思います。
事件があったとき、メディアや世間は、その事件で一番世間が面白おかしく、話題にしてもらえるような部分をピックアップして報道すると感じます・・・
それが一番の原因でなくとも・・・・
今回のこの事件において、お父さんという家の長であり、力も一番強い人が、そこまでの行為をしたことを皆様はどう考えたでしょうか?
kaoring-3は、このお父さんは、本当に子どもへ一生懸命ぶつかっている父親だと思いました。
子育てを真面目に一生懸命どうすべきかを考える親であればあるほど、子どもの良くない行為を正す為にどうすべきかを、一生懸命考えるのだと思います。 (置き去りの行為を肯定しているわけではありません)
kaoring-3が考える、本当の虐待というのは、子どものことを考えてではなく、親の身勝手で起こす行為ではないでしょうか? その子のことを考えて、どうすべきかを一生懸命考えて、行う行為は虐待ではないのではないでしょうか? (もちろん、行き過ぎる行為を肯定するわけではございません)
行為だけを取り上げて、批判することは簡単。
そして、人を批判すると実は自分が優位にたっているのです。(ストレス発散)
舛添知事のこともそうです。
決して許される行為ではないですが、知事を追及している議員さんたちも多かれ少なかれ政活費をなんらか公私混同されている人はゼロではないと感じます。
そんなことを問いただすことを言いたいのではありません。
kaoring-3は、行為の背景をもっと見てあげることが必要だと考えるだけです。
そうでなければ、
一生懸命子育てしたり、
一生懸命生きていたり、
一生懸命仕事していたりしていても
そこをフォーカスせずして、
結果だけをフォーカスする社会に
誰が生きる希望を持つでしょうか?
誰が自分の信念を貫いていきたいと思うでしょうか?
昨日、UPしたモハメド・アリさんが、なぜあそこまでの行為を貫けたかは、周囲の差別に負けないくらいの、自分を信じる力が強かったからだと思います。
生きることで大切なこと・・・
それは
「自分を信じる!」