日本人は
謙虚な人種と言われていますね。
kaoring-3は日本人に生まれ育ち、
こころからよかったと今でも思っています。
なぜならば、
「自分が!」
「自分が!」
ではなく
相手を思いやります。
相手を気遣います。
相手の気持ちを読みます。
相手を引き上げます。
それがいいかどうかはわかりません。
ただ・・・
人生の哲学の中で
私たちがこの世に生きている意味は
自分!ではなく
調和!だと思うわけです。
だからこそ
調和が崩れてきている昨今では
調和を図ろうとする日本人の精神は
素晴らしいと感じるわけです。
それを失うとどうなるでしょうか?
すべての人間が
我を!、我を!と思う人種であれば、
今の人間社会は成り立たないのです・・・
現に
我を!我を!となってる国との対立は
どんどん溝が深まっています。
相手を認めることができなくても
相手を理解することが
調和へと発展するのではと感じます。
理解できずとも認める・・・
あなたはそれができているでしょうか?
例えば
夫婦・・・
違った環境の人間同士が一緒に住んでいく中で
相手を理解できないことは
少なくありません。
が・・・
理解できずとも、相手のその考えもありなんだな・・・と
認めてあげることはできているでしょうか?
それができない時、
夫婦間は破たんします。
親子でもそうです
たとえ親子でも
違う人格として誕生しています。
その違う人格を
親という立場を利用して
子どもの人格を消そうとしていませんか?
自分の思い通りにコントロールしていませんか?
この子はこういう子なんだな!
と
理解できずとも
認めてあげてるでしょうか?
そんな人間関係の中に
(特に日本人は)気を使う・・・
気遣いという技を身につけています。
これも日本人は他の人種より多く身につけているのではと感じます。
気遣い
気配り
先読み
今
多くの日本人の方々は
気遣うことを
間違った方法で使っているように感じます。
それは
自分を良く見せたい!
自分を誇示したい!
自分をカッコ良く見せたい!
自分のプライドを壊したくない!
自分の見栄を見せる!
自分の弱いところを見せたくない!
etc……………….
そのための気遣い・・・・。
だれでもその気持ちは少なからずあります・・・。
一生懸命生きている人ほど
その気持ちは強くなります!
間違ってる
正しい・・・
そんな二極の対立感情で収めることではないのです。
では・・・
正解がないことは
どう解決すればいいのでしょうか?
気を使うことは
自分の心(=気)を自分以外のところへ使っているんですね。
それは相手を思いやるから起きる行為です。
人間は一人では生きていけないので
その気を使うことはとても大切ですね・・・^^
その気を使う中に
必ず生じる感情があります。
そう
「愛」です。
見返りを求めないで、
素直に相手を思って行動している「愛」
これが本当の気遣いです。
大切なことは
心からの愛を持って、
その相手を気遣っているかどうかなんです。
もう一度
自分が他人を気遣う時
見返りを求めない愛を与えることができているか。
ちょっと考えてみたいですね💗